死ぬ気で勉強して入った医学部を休学してリバ邸へ来た

入居して1ヶ月が経ちました。ぼくは加藤江と言います。(https://twitter.com/kato0718ko)シェアハウスでの生活に慣れてきたところです。思っていたより洗濯や風呂が混み合ったりすることがないので、慣れるのは早かったです。なによりもリビングでの居心地がいいです。みんながいろいろ教えてくれていつも助かってます。

実は僕は二浪までして死ぬ気で勉強して地方の医学部に入ったんですが、訳あって休学して上京しました。

そもそも僕がなぜ医学部を目指そうと思ったのかをめっちゃ簡単に言うと、「医者になるか医師免許を取って医療系の事業を起こしたかったから」です。

なぜ医者になろうと思ったのかについては今回は省略させてください。

なぜ医療事業を起こしたいと思ったのか。

起業家への憧れは小学生のころからあって、昔から本屋でよくビジネス本とか自己啓発のコーナーとかで立ち読みしてました。なぜか漠然と起業家とか発明家への憧れがありました。僕はごく普通の家庭でふつうに育ったと思うんですが、なぜか小さいころから「こういう物があったら便利なのに。」とか「こういうサービス、なんでないんだろ。」とか次々に考えつく子供でした。そんなアイデアを形にする仕事はなんだろうと調べると、社長になるのが一番だということをいつしかかとこー少年は知って(思い込んで)いました。で、いろいろ起業について勉強して(今思えば全然まともに勉強できてなかったんやけど)高校3年生のとき、まともに他の起業家たちと勝負するのは無理だなってなんとなく思いました。でも医師免許とって医療事業で勝負すれば戦えるのではと浅い知識の中で考えました。学校の勉強に対しては謎の自信がありました。まあ、そんなに成績はよくなかったのですが。

そういえば、小学校の卒業式の日に「正直、加藤が医学部とか絶対無理だろwww」って学年トップの成績のやつに言われました。そのことが今でも忘れられないです。他の人にそんなことを言われても気にすることはなかったのですが、そいつのことは、ちょくちょく勉強の相談をしたりして何かと慕っていたのでそれだけショックが大きかったです。「そんなんまだわからんだろ」と強がりましたが、その日は家に帰って布団を顔に押し付けながらめっちゃ泣いていました。

そんな悔しさもバネにしつつそのまま学校の勉強をそこそこやって高校は地元の進学校に入りました。とは言っても県内では進学校というだけで、実際の医学部合格者は毎年1人いるかいないかというところでした(ちなみに東大合格者は歴代0人のレベルです)。なので、授業は基本無視で授業中は一人でずっと自分の勉強をしてました。同じクラスだった人はご存知の通り、それが原因で先生とはよく喧嘩してました。

そんなこんなで割と勉強頑張ったんですが、センター試験で大失敗して医学部受けれなくなりました。地域枠の入試なら十分チャンスありましたが、徳島に縛られるのは起業が目的の僕には合わなかったので受けませんでした。

で、京大の一番受かりやすいとこ(分かる人には分かる)を記念受験してなんとか合格しました。京大は二次試験で挽回できるし、京大の合格実績を自分のメンタルの支えにするために受けました。今思えば、そのまま入学すればよかったのかもというのもあるのですが、当時は「医療界で戦うならとにかく医師免許が必要!」と思ってたので絶対医学部医学科!って感じでした。そして高校のときは受験勉強以外にやってたことがそこそこあったし、それなりに成功体験を積んでたので、1年受験勉強だけを集中してやれば京大医学部医学科でもいけると本気で思ってました。実際にやってみると全然届かなかったのですが(笑)

そのまま予備校で浪人しました。徳島の予備校だと1年に1人か2人しか受からないので駿台京都校までいきました。もともと、浪人することはもってのほかで大学に行くなら徳島大学しか経済的に行かせることはできないと言われていました。でも親が頑張って祖父母からお金を集めてくれたりしてなんとか行けるようになりました。親は結局、僕がなにをするにしても応援してくれる大切な存在だとその時に知りました。予備校の寮に入り、ママチャリで通い毎日朝から晩まで勉強しました。

予備校は8時~21時まで空いてたのでその間は毎日ずっと勉強しました。1日も休んだことはなかったです。飯を食う暇も削ってたので予備校に入ってからセンター試験が終わるまでは昼飯は一度しか食べたことなかったです。予備校に入った初日だけのたった一回だけしか食べなかったです。プレッシャーでお腹は全く減りませんでした。というか自分で緊張感を保って腹が減る隙を与えませんでした。飯を食べなくても体はめちゃくちゃ元気でずっと集中してました。さらに6月ごろから夜ご飯もまともに食べなかったです。ってか食べられなくなりました。フルグラや缶詰を食べながら夜も勉強してました。ちゃんと夜ご飯を食べるのは模試が終わった日だけでした。毎日深夜2時すぎまで勉強して次の日は7時に起きて寮の朝ごはんを食べて予備校へ通う毎日。1日16時間はやっていたことになりますね。授業は平日9時からでしたかま、予備校開門の8時から毎日自習していました。1日も休むことはなかったです。物心ついた時からスポーツをかなりやっていたので体力には自信がありました。(そういう問題じゃない笑)

春の模試ではEやD判定ばかりでしたが、秋には地方医学科はA判定を取れるようになりました。質はともかく人類で一番勉強していたんじゃないかってくらい勉強していたので当然といえば当然なのですが。でもそのあたりから体調を崩し始めました。今まで溜まっていたものが一気に出てきました。浮遊性の目眩で24時間ずっと倒れそうな状態で、心臓もかなり弱っていてちゃんと動いてないような感覚でした。常に頭がぐわんぐわん回っている状態で、常に意識が飛びそうな感じでした。精神科へ行って一度でも薬に頼ると一生薬漬けになるんじゃないかと怖くて、医師に精神科を勧められて以来病院には行っていません。自分で薬を勉強して依存性のないものをamazonで注文してそれを飲んだりしていました。健康本を読み漁り必死で治そうと努力しましたが、そのまま絶不調のままセンター試験に突入し見事に大失敗しました。絶不調でも実力には自信があったし、過去問では9割近く取れていただけにこの日のショックは大きかったです。今までで一番悲しい思い出は確実にこの日でしょう。でも、次の日にはまた8時から登校して、何度も泣きそうになるのを凝らえながら勉強していました。

24時間倒れそうになる目眩を抱えながら健康の勉強にもさらに注力していきました。カイロプラクティックという世間では怪しいとよばれる治療に通ったり、マインドフルネスといった瞑想をしたりして何としてでも治してやるという気持ちでいろんな治療を試していました。医学科を目指していたのにも関わらず、今の日本の医療界に対する不信感が強くて精神科に行くのだけは避けてました。

当然のごとく二浪に突入しました。僕の親はかつて浪人は愚か県外に出ることすら許してくれなかったですが、なんだかんだ京都で二浪することを許してくれました。

二浪目はとにかく自分が健康になるにはどうすればいいかを試していました。まずは友達をたくさん作ってみました。予備校の食堂には常に誰かが入り浸っているのでそこの人たちとわいわいしてみました。楽しい瞬間もあったんですが、絶え間のないひどい目眩を抱えながら大勢とおしゃべりしたり、みんなで勉強するのはとてもきつかったです。そのよくわからない病気のことは人にはいえず、自分の中に留めていました。

その自分の中にいる原因不明の病は僕をしばしば苦しめました。何をしても治らない。もしかしてガンみたいな重篤な病なのでは。と何度も思いました。それでも病院へは生きたくなかったです。なにを言われるかわからないし怖かったからです。

でも、あることをすると体調がましになっていくのが実感できました。治す方法はたった一つでした。それはとにかく自分が”楽しむこと”です。楽しいことをやればやるだけ自分の体調は少しずつ良くなりました。具体的には、ネットで知り合った女性とデートしたりしました(笑)。こんな単純なことで人は健康になれるんだと肌で知りました。ろくに勉強もせず、とにかく自分が楽しいと思うことをたくさんしてみました。

で、ある程度回復していき、センター試験を迎えました。二浪目のセンター試験です。体調万全とはいえないまでも割とましな点を取りました。でも謎の目眩を抱えた自分が取れるだけの点は取れたと思ったので素直に喜びました。二次試験は得意だったのでその時点で合格を確信しました。

でもその頃、医学部へ行きたくないという気持ちが膨れ上がっていました。確かに人体や医学についての興味は強かったですが、大学の勉強は所詮学校の勉強なので必ずやりたくない勉強も付きまといます。つまり楽しくない勉強や作業に振り回されることになります。ましてや医学部での勉強は膨大で、その分つまらない要素もたくさん含まれていて耐えられない気がしていました。なので僕は文系の早慶上智に方向転換しようとしました。実際に出願もしました。そこで楽しく大学生LIFEを送りながら、もともとやりたかった起業をして生きていきたいと考えるようになりました。僕は「どうしても東京で起業して生きていきたい」と親に伝えました。でも結局「医学部も行ってみないとわからないでしょ。それに起業するなら大学へ行かなくてもできるのでは。」と説得され、1年後大学を休学しても辞めても構わないという条件で医学部へ進みました。

もうわかると思うのですが、僕の予想通り医学部での生活は退屈でつまらない授業を受けなきゃならなかったりとしんどかったです。みんなが一切してこなかった分野の勉強をやたらしていたせいもあるのか学校ではかなり浮いてたし……。(周りから見たらかなり楽しそうに見えてたかもしれないけど)

実はあの一浪の頃に得てしまった謎の目眩は今でも続いています。もちろんそれ以上にひどい持病を抱えてる人も多いと思うし、それに比べたらそんなに大したことではないですが、自分としてはとても大きな問題です。それでも当時に比べると9割くらいはましになったのでかなり生きることが楽になりました。

そんなかんやで今は楽しく渋谷のシェアハウスで暮らしてます。まだ入居して二週間ちょいですが。親からの仕送りはなくて1年間奨学金で貯めたお金で生活してますが、それももうすぐ尽きるので4月からはバイトをしながら起業の準備を続けていきます。

いろいろ言いましたが、一年後医大に帰るか、そのまま東京に残るのかは本当にわからないです。やっぱり医師免許を取って医療事業をやりたいと思えば医大に帰るかもしれないし、医師免許にこだわらなくていいと思えば東京に残ります。まあどちらにしても仲良くして欲しいなって感じです。これからもよろしくお願いします😊

 

 

 

 

 

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