偶然よりもVitamin C ですか?

私がリバ邸六本木に住み始めたのは昨年の11月です。2015年には興味に惹かれるまま三回も引っ越しをし、タクシーにも轢かれました。小学生の頃に、Pierre Curieが滑って転んで馬車に轢かれて死んだ話を読んで、凄い科学者のくせによりによって馬車に潰されて死ぬとはなんて間抜けなんだろうと思って大笑いしたことを思い出しました。何十年も生きる人達の人生を一文で説明するのは難しいですね。偉大な科学者たちでさえも生まれた時から死ぬまでずっと賢いわけではないというのは驚きです。

Linus PaulingはBiochemistryで偉大な業績を残しノーベル賞を受賞。さらに原子爆弾を世界からなくすために活動し、ノーベル平和賞を受賞した(両方共単独での受賞)くせに、最後の最後にVitamin Cに狂ってしまいました。彼によると「Vitamin C は体に良いなんてもんじゃなく、万能薬で、不死も可能だガンすら恐れるに足らん!」 とか言って毎日Vitamin C 漬けの生活をしました(ちなみにLinus は前立腺ガンで死亡)。「Linus はBiochemistry でノーベル賞をとった権威で、原子爆弾を世界からなくすために活動し、その成果が認められてノーベル平和賞までもらってる。Quantum Chemistry なんか知らないしノーベル平和賞って何か胡散臭いけどこの人が言うのだからVitamin Cは間違いなく特効薬だ。」となるのは、大衆にとっては手軽で、それでいてランダムな選択ではありません。実際、Linusは死んだけどVitamin 神話は未だに存命です。「ガンとかは無理だけど風邪は治せる」みたいな暗黙の誤解は蔓延しています。Nobel Diseaseへの特効薬は見つかっておりません。迷信も最もらしい論理で出来ていることの良い例ですね。

迷信だけでなく、自分の行動・選択も一番最もらしく思えるものを選ぶ人が多いのではないでしょうか。過去のことは全て因果関係で説明出来るような気がしてしまうのに(Hindsight Bias (“Past events will always look less random than they were”) です) 現在にランダムな選択を進んでするのは少し難しいです。因果関係がないように思えることはそもそも忘れやすく、忘れてしまったことは覚えてはいられない。少し時間をかけて調べてみてください。実は偶然が連続していただけだと言えることもあるのではないでしょうか。

それで、話は少し変わるんですが、僕の好きな漢詩に”桑乾を度る”という詩があります。中国の賈島の詩です。長安から単身赴任して并州で働いている彼は、故郷を懐いながら毎日働いていました。辛い日々を過ごした彼は、儚くも新たな街に赴任しなければならなくなりました。桑乾川を渡る時になって彼は10年を過ごした街と別れることを悲しみます。この詩人は故郷と呼べる地が増えたことを喜んでいるのだと好意的に解釈する人も多いですが、通信・交通インフラが整っていない時代の話ですので、生き続ける限り別れが続く人生の無常を感じさせます。

でも今はFacebookとかあるので一度会った人の記録は残ってるし追跡できる。リバ邸には「前に一度来たことがあるor住んでいた」と言って遊びに来る人が多いです。でもみなさん初めてリバ邸に来た時には次に遊びに来る時のことなど考えていなかったでしょう。それゆえ再び遊びに来たのはたまたまだったと言えるかもしれません。リバ邸のサイトに来てこの記事を読んでいる人は既に、何か偶然な出会いへの欲求を感じているのかもしれません。なので今リバ邸に興味がある人はたまたま遊びに来てはいかがでしょうか。

*1月なので新年の抱負*

Singularity を待つまでもなくGoogle検索で置き換え可能なマヌケな私ですが、今年1年も平和に暮らせたら、あわよくば一度ぐらい賢いことが出来るようにと思っております。