「承認されること」の量と質について

ぷーさんです。
営業中ではあるんですが、
近所のかほちゃんが作業しているだけで、暇です。

なので脳内垂れ流し記事を。

承認の量と質について

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世の中には「すごい人」が多数いる。

例えば金メダリストや、一流企業の社長や、
トップ芸能人、業界で誰もが知る職人・・・。

その人が講演会を開けば、多くの人がお金を払う。
その人に握手されたら人に自慢できたりする。

では、「すごい人」はなぜ「すごい人」なのか。
要素が2つあると考える。

①スキルが人より抜きん出ている。

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顔きめえ

もちろんこれがひとつ。

誰よりも足が速い。
優れた経営手腕。
0.001mmがわかる指先。

しかし、これだけでは「すごい人」にはなれない。

どういうことか。

例えば、誰よりも足が速くても
誰にも見せなかったらどうだろう。

例えばどんなに見事な建造物を作ったとしても
一人で暮らす無人島に建てたのならどうだろう。

そう、「すごい人」になるには、
他者からの承認が必要なのである!

そもそも「すごい」という形容詞は、
他者からの評価であることに気づいてほしい。

自分唯一人で「すごい人」になれるのなら、
全員自分で自分のことを「すごい人」と自称し得る。

すると全員すごい人になり、他者との差は壊滅し
いったい誰がすごいのかわからなくなる。

そう、「すごい人」というのは、
それを認める人がいて初めて「すごい人」なのである。

そのため「すごい人」の要素その2は下記となる。

②人からとても承認されている

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僕はこれこそが「すごい人」が
「すごい人」たる所以であると考える。

たまに①の要素がなくとも「すごい人」とされる人がいる。
それは、何かしらの理由で人からとても承認されているからだ。

(その何かしらの理由がすごいんだろ、
となると議論がループしちゃうので割愛)

さて、ここでなぜ僕が
「多くの人から承認されている」と書かずに、
「人からとても承認されている」と書いたのかと
疑問に思う方もいると思う。

図1

それは、僕は何も「承認の量」だけが
すごさの基準とは思わないからだ。

強い承認は「承認の質」でも図られると思う。

例えたったひとりの弟子でも、その弟子に
死ぬほど陶酔されてる師匠がいたとする。
僕はその人は「すごい人」だと思う。

下手すると1万人のライトファンがいる作家さんとかよりも。

う~ん、極論で例えるなら・・・

Twitterでフォロワー10,000人いるぜ!

よりも、

「◯◯のためになら四肢を失ったっていい」
という友達が一人いるほうが、
よっぽどすごいんじゃないか、という話である。

友人らおうは、
「100人から1好かれるくらいなら、
1人から100好かれたい」と言っていた。

つまり、何が言いたかったのか

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これから「すごい人」になろうとするなら、
何も承認の量ばかりを求める必要はないと思う。

誰か一人からでも、
「この人ちょーーーすげーーー!」
と思われるのでもよいのである。

どっちも取るのがもちろん最強だけどね。

俺はこれから居酒屋をやっていくけども、
多くの人に愛されたいのはもちろん、

承認の質をきっちり取っていき、
一人ひとりからちゃんと愛される居酒屋を
目指して頑張ります。

みんな、来てくれよな!

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居酒屋りばてぃ~
18時~23時
月・木定休

野田線の川間駅まで迎えに行くからね!

図2

では。あでぃおす。