【リバ邸渋谷】『あなたにとって”自由”とは何ですか』

先ほど頭痛から解放されて、眠れないのでこのブログを書いています。

リバ邸渋谷・住民のクラゲです。

 

超唐突ですが、

今日は家入さんのq.todayについて考えてみようかと思います。

 

『あなたにとって”自由”とは何ですか』

https://q.today/q/YXB7W_6_CtSGuusX4TPdtg

 

難しいので、逆から考えてみます。

「不自由」とは何か。

・やりたいことが出来ない

・やりたくないことを強制される

・自分の行為が、自分の認める意義につながらない

などなど様々ありますよね。

 

じゃあ、自由な状態は

・やりたいことができる

・やりたくないことを強制されない

・自分の行為が、自分の認める意義につながる

など、不自由の数だけあると思うのです。

 

その中で、自分の好きな自由を選択できる状態が「自由」ではないかなと思います。

だって、重なり合う「自由」もあるけれど、背反する「自由」もあるから。

 

例えば、「自分の行為が、自分の認める意義につながる」ってのを自由だとすると、

やりたくないけど意義のある行為も自由に含まれますが、「やりたいことができる」状態とは背反する時もあります。

 

この自由の選択肢が確保されるには、本心から望む生き方を誰もが選べるようになっているべきですよね?

その本心は、自由と不自由を体験した時に鮮明になっていく気がします。

 

やりたいことが好きなだけできる人は、やりたくないことを強制されない状況の方が好きかもしれないけれど、それは経験してみないとわからない。

だから、僕は自由とはより正確にすると「自由と不自由を経験しきった上で、好きな自由を選べる状態」だと思います。

 

僕の場合は、「自分の行為が自分の認める意義につながる & 自分の行為が自身が認めたい自分にふさわしい」時が好きです。

で、意義とか理想像とかは全部感情的なもので、多分憧れの蓄積です。

胸を打ってきた憧れの記憶で形成された理想像に近づいている時に僕は自由を感じるのかも。

 

でも、僕はその理想像にちっとも近づけない。

「再生医療・脳科学の研究者」「Edtech関連」「20歳のCTO」とかとか。

選べなかった道ばかりが降り積もり、憧れからは遠ざかるばかり。

追いかけてきたはずの理想は、諦めと怠惰と思考の進展によって次々と不自由の種に変わるわけです。

 

じゃあ、僕は自身の自由の定義を変えるべきでしょう。苦しいし。

それでも追いかけることをやめられないのは、「まだ近づける、自由になれる」って諦められないんでしょうね。

 

なので、「もうこれ以上は無理だ」と心底諦められるぐらい、僕は経験しきるべきなんでしょう。

そうして初めてすっぱりと、次の自由を探せる。

思いの外、長くなってしまいました。

ご覧いただき、ありがとうございました。